大手メーカーの大量生産至上主義

耳が痛い内容です。

”売る”ことを目的にして、リサーチをすると、
どうしてもこの落とし穴にハマると思います。

”売る”ことを目的にせず、何を目的とするんだ? 
と言われるかもしれません。

もちろん、”顧客の獲得と維持”が目的です。

 

―― 引用ここから ―――――――――

大手メーカーの大量生産至上主義

ここまで述べたことは、事業運営の基本ルールとして守られているように聞こえるが、実際にはまったく程遠い。ルールは守られているというよりも破られていると言ってよい。自動車産業を例に取ろう。自動車産業と言えば、大量生産の代名詞といえ、その社会的影響力は最も大きい。顧客重視の姿勢が特に求められるので、毎年モデルチェンジが必要になる。この過酷な要求を福に転じたのが自動車産業である。自動車メーカーは、年に数百万ドルを消費者調査に費やしている。しかし、新しく出現したコンパクトな小型車が発売初年度から大変な売れ行きを示しているという事実を見ると、こうした調査は消費者の真のウォンツを掴めていなかったと言わざるをえない。小規模メーカーに数百万の顧客を奪われるまで、大手メーカーは消費者が別の車を求めているということを理解しようとはしなかったのである。

長い間、消費者のウォンツとかけ離れた車しかつくれなかったのはなぜだろうか。消費者の嗜好の変化を調査が指摘できなかったのはなぜか。実際に小型車が売れるまで気づかなかったのである。事実が起こる前に、今後何が起こるのかを発見することこそ、消費者調査の目的ではないのか。

答えはこうだ。自動車メーカーは消費者のウォンツなど調査してはいなかったのである。前もって自動車メーカーが売り出そうと決めておいた車のうち、どれを消費者が好むのかを調査していたに過ぎない。自動車メーカーは製品中心主義であって、顧客中心主義ではなかった。メーカーが満足させられる顧客ニーズであれば、その限りで製品は手直しする。それでメーカーの任務は完了すると考えたのである。時には、消費者のための金融に力を入れることもあったが、顧客が購入できるように配慮するというよりも、一台でも多く売ることが目的だった。

顧客のニーズが考慮されていないという例は書き切れないほどたくさんある。なかでも無視されてきたのが、販売の問題と自動車の修理・メンテナンス問題である。大手メーカーは、これらの問題は、二義的な重要性しか持たないと考えている。自動車産業の末端機関である小売店および修理サービス店は、メーカー組織の一部として経営もされていないし、コントロールもされていないのだから、それは明らかである。工場から出荷された後、自動車はけっして行き届いているとはいえないディーラーの手に委ねられる。

自動車メーカーの末端機関への無関心さを物語る事実を一つ挙げてみよう。修理サービスは販売を刺激し、利益獲得のチャンスでもあるが、シボレー七〇〇〇店のディーラーのうち、夜間の修理サービスを提供する店は五七店しかない。

消費者は、修理サービスについての不満を口にし、現行の販売体制の下で車を購入することには不安があると言っている。車の購入時や修理時の心配事は、おそらく三〇年前よりも深刻になっており、その数も増えているに違いない。それでも自動車メーカーは、不安に悩む消費者の声に耳を傾けず、消費者から指針を得ようともしていない。耳を傾けるとしても、生産中心という偏見のフィルターを通して解釈してしまうことだろう。マーケティングを製造の後に続く必要な努力としか考えていないのだが、本来あるべき姿は、その逆である。そう考える背景にあるのは、利益は低コストのフル生産でのみ生まれるといった偏狭な見方である。

セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)

―― 引用ここまで ―――――――――

続きます。

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