R&Dに潜む危険な罠
さて、今日は再びレビット博士に戻ります。
1960年時点のアメリカは、冷戦が続き軍需産業が潤った時代でした。
アイゼンハワー大統領が、軍産複合体による政財界の癒着を告発したのが、
1961年1月の退任演説です。
いまの日本はちょっとした助成金プチバブル・消費税バブルの気配ですが、
それとは次元が違うレベルで国からカネが流れてくる時代です。
その前提で読んでみてください。
いまの既得権益ビジネスに繋がるビョーキが見えてきます。
―― 引用ここから ―――――――――
R&Dに潜む危険な罠
会社の絶えざる成長を脅かすもう一つの危険とは、トップ・マネジメントが技術の研究開発を進めさえすれば、利益は間違いないと思い込んでしまうことである。その例証として、新しい産業――エレクトロニクスを始めに取り上げ、次に再び石油会社について考えてみたい。新しく取り上げる例と、既に詳しく述べた例とを比較することで、一つの危険な考え方が知らぬ間に広がっていることがわかるはずだ。
エレクトロニクス産業に属し、バラ色の未来が約束された新しい企業が直面する最大の危機とは何だろうか。R&Dに無関心なことではなく、あまりに注意を向けすぎるということである。急成長のエレクトロニクス会社がこれほどの地位に立てたのは、技術研究の賜物と強調しすぎることはまったくの的外れだ。エレクトロニクス会社が突然もてはやされるようになったのは、一般大衆がこの新しいアイデアに強い関心を示したためである。
エレクトロニクス会社の成功にはもう一つ原因がある。軍の助成金によって保証された市場があり、多くの場合、生産能力をはるかに凌ぐ軍需があったためだ。言い換えると、これまでの発展は、ほとんどマーケティング努力なしにもたらされたものなのである。このようにエレクトロニクス産業は、優れた製品であれば自然に売れる、という幻想が生まれやすい条件の下で、成長を続けている。
優れた製品を開発したことで成功した場合、経営者は製品を使ってくれる顧客よりも製品の方を重視するのは当然である。そして成長し続けるには、絶えず製品の革新と改良を続けることだ、という信念が生まれる。この種の確信を強めこそすれ、決して弱めさせない要因は、他にもたくさんある。
たとえば、エレクトロニクス製品は高度な技術によるものだから、経営者はエンジニアや研究者を特に重視する。そのため、マーケティングを犠牲にして、研究と生産にだけ重点を置く。企業の使命は、顧客のニーズを満足させることではなくて、製品を生産することだと考えてしまう。
その結果、マーケティングは、製品の創造と生産という、第一義の仕事が完了した後にすべきことで、何か余分な二義的な活動という扱いを受けることとなる。
また、彼らには、このように製品のR&Dに偏りすぎること以外に、制御可能な変数のみ扱いたいという傾向がある。エンジニアや研究者は、機械、試験管、生産ライン、さらにはバランス・シートなどの具体的な物の世界に居心地よさを感じる。抽象の世界で性に合うものといえば、研究室でテストや操作ができるものか、そうでなければユークリッド公理のように自分の役に立つものである。つまり、エレクトロニクス会社の経営者たちが好む事業活動は、慎重な研究や実験、制御可能なもの――研究室や工場や文献で確かめられる、形のある実用的なものに限られるのだ。
そこには、見落とされているものがある。それは市場の実態である。消費者は予測しがたく、種々雑多であり、気まぐれで、愚かで、先が読めず、強情で、やっかい極まりない。技術畑の経営者は口にこそ出さないものの、心の底ではそう考えているはずだ。それゆえ、自分たちに理解でき、統御できるもの、すなわち製品研究、エンジニアリング、生産にだけ努力を傾ける。製品の限界コストは生産高に応じて低下するのだから、生産はますます面白くなる。収益を上げるには工場をフル操業させる以外にない、と考えてしまう。
今日、大半のエレクトロニクス会社が、科学、エンジニアリング、生産中心に固まっているのに、これほど繁盛しているのは、軍が開拓し、保証してくれた市場などの新分野に進出しているためだ。市場を発見するのではなく、満たさなければならないという恵まれた立場にいる。顧客が欲しがるものを見つける必要はなく、顧客の方から進んで新しい需要を具体的に出してくれているのだ。経営コンサルタントに顧客中心のマーケティングの必要性がない事業環境を設計するように依頼しても、これ以上の条件を考えだすことはできないだろう。
セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)
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続きます。