マーケティングは「じゃま者扱い」されている
レビット博士の、ヤキモキが伺える名文です(笑)
ひとは、魚(顧客)が釣りたければ、当然、
魚がいる場所で、魚がかかる餌をつけた釣竿を垂らします。
どうやったら魚が釣れるかを考えます。
しかし、なにもしなくても焼き魚定食(国の補助)が
目の前に並べられるならば、魚のことなんて考えません。
そして、焼き魚定食の自動提供が止まったとき、
「次の焼き魚定食はまだか!?」とは思いますが、
魚の釣り方を覚えようとは考えません。
―― 引用ここから ―――――――――
マーケティングは「じゃま者扱い」されている
科学や技術や大量生産に頼りすぎると、その大半の企業が横道にそれていく。その好例が石油会社である。消費者調査をある程度(あまり多くはないが)実施されているが、その目的は、石油会社の活動の改善に役立つ情報を得ることにある。たとえば、顧客が納得する広告テーマとか、もっと効果の上がるセールス・プロモーションとか、石油会社の市場シェアとか、ガソリン・スタンドや石油会社に対する好感度などである。どの石油会社を見渡しても、今後顧客を満足させる素材の基本特性とは何かといった基本ニーズを調査しているところは見当たらない。
顧客と市場に関する根本的な質問など、まったく投げかけない。要するにマーケティングはじゃま者扱いされているのだ。問題はあるし、無視できないという認識はあっても、真剣に考えたり、十分な注意を払ったりするほどのものではないと思っている。遠いサハラ砂漠の石油には熱中するが、すぐ側にいる顧客には冷淡だ。どれほどマーケティングが無視されているかは、業界新聞の扱い方を見れば明確だ。
五九年発行の『アメリカ石油協会クオータリー』一〇〇周年記念号は、ペンシルベニア州タイタスビルでの油田発見を祝して、石油産業の偉大さを証言した二一の特集記事を載せている。この中で、マーケティングの成果に触れた記事はたった一つしかなく、それもガソリン・スタンドの建物にどんな変化が見えるかを図入りで示しただけにすぎない。またこの号には、「ニュー・ホライズン」と名付けた特別コーナーがあって、石油がアメリカの未来にどんなに素晴らしい役割を演じているかを強調している。このコーナーに書かれていることは、どれもこれも楽観主義に溢れており、いつか石油にも強力な競合製品が出現するかもしれないといったことを、暗に匂わせたものすら見受けられない。
原子力エネルギーについて述べた記事にしても、その成功に石油産業がどのように役立つのかという項目を並べ立てた内容になっている。石油産業の現在の豊かさもやがては脅かされるかもしれない、といった懸念など微塵もうかがえない。また、石油を利用している既存顧客にもっと優れた新サービスの仕方を提供する「ニュー・ホライズン」が現れるといったことにも触れていない。
マーケティングをじゃま者扱いしている典型的な例は他にもある。「エレクトロニクス革命の未来像」と題した短い特別記事のシリーズがこれであって、次のような見出しがついている。
・油田探査とエレクトロニクス
・採掘作業とエレクトロニクス
・精製工程とエレクトロニクス
・パイプライン作業とエレクトロニクス
注目すべきは、石油産業の主要な機能は残らず挙がっているのに、マーケティングだけがないことだ。なぜだろうか。石油のマーケティングにエレクトロニクス革命は関係ないと信じられている(これが誤りなのは自明である)のか、それとも編集者がマーケティングに触れるのを忘れたからだろう(こちらはありそうなことで、マーケティングをじゃま者扱いしていることをよく示している)。
石油産業における四つの機能分野を並べた順序を見ても、石油産業が顧客から遠く離れていることを告白しているようなものである。油田探査に始まり、精製工場からの送油で終わるのが石油産業と定義しているようだ。しかし実際には、石油産業であろうと製品に対する顧客ニーズから始まる、と私は考える。したがって、この最上位の顧客から、順々に重要性の低いものへと逆に進んで、最後に「油田探査」で終わるべきなのである。
セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)
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続きます。