似ていても変えられない理由

ゴールデンウィークはいかがお過ごしでしょうか?

―― 引用ここから ―――――――――

『似ていても変えられない理由』

経緯がどうあれ、広告テーマが実情として似ているのは誰の目にも明らかで、どの企業もまるで冗談のような状態を放置しているのは、なぜだろうか。
もちろん、ブランド名を変えるわけにはいかないし、発売後すぐに容器を差し替えるのも、賢明とはいえないだろう。
だが、広告や販売促進まで方向転換しないのは、どうしてだろうか。
なぜかたくなに販売の鉄則に逆らい続けるのか。

業界の流れに逆らうのはたしかにリスクを伴う。
50年代初め、クライスラーが箱型の車体デザインを頑固に貫いたり、一部のビール・メーカーが瓶から缶への切り替えを渋ったりしたときがそうだった。
だが、緩やかに広がる人気トレンドに徐々に乗るのと、ここで紹介してきた3つの製品分野のように、各社がまったく新しい製品に一律に同じ手法を取り入れるのとでは、わけが違う。
後者については何かがおかしいと考えなくてはならない。

これまで述べてきたとおり、これほどまでに各社のブランド戦略が似通っている状況は、ある一社が他社の人気製品のブランド名、製品デザイン、容器などを意識的に模倣した結果だとはおよそ考えにくい。
フォードの「ファルコン」が「ラーク」を、あるいは「アルパイン」が「クール」の色をそれぞれ意図して模倣したと考えるのは、馬鹿げているだろう。
そのような模倣をするのは、途方もない近視眼に陥っているのでもない限り、「手っ取り早く儲けられればそれでいい」という企業だけだ。
ブランド名や容器デザインは、長期的な決め事なので、固い方針に基づいているはずである。
それを変えることはめったになく、仮に変えるとしても慎重を期すだろう。
新たなイメージを打ち出す時には、長期的に競争力を発揮できるかどうかを十分に検討しなくてはならない。
「マルボーロ」の広告から、たくましい男性モデルの入れ墨が少しずつ取り去られた時のような気楽さで、変更を加えるわけにはいかないのだ。

ブランド名、マーク、容器などが長期にわたる約束だと、わかっていたはずである。
それならなおさら、各社が互いに酷似した製品をあえて投入したとは思えない。
以上のように、どう考えても理屈に合わないにもかかわらず、なぜこのように自殺に近い行為を繰り返してしまうのだろうか。

セオドア・レビット『購買意欲調査をめぐる狂想曲』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)

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⇒レビット博士は、経営者に過度な期待をし過ぎです。

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