我々は広告に何を期待するのか

週末のレビットアカデミー『広告の倫理性をめぐる考察』です。
前回の『「広告には規制が必要』からの続きです。

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我々は広告に何を期待するのか

たいていの人は慎重にお金を使う。当然ながら、だまされないように警戒もしている。人々が広告に関して何らかの規制を望むのは、少なくともより正確な情報やより充実した消費者保護を求めるのは、当然の権利であり、賢明さの表れともいえる。この点に関しては、産業界からもまず異論は出ないだろう。

ただし、消費者保護と虚偽・誇大広告について同時に語ろうとすると、まったく別個の二つの事柄を混同するおそれがある。広告の正当な利用とその濫用とが区別できなくなるのだ。本稿では、広告に歪曲や誇張があることを否定するのではなく、むしろ、飾り立てた表現や思わせぶりな表現はあって当然で、社会にとっても望ましいものだと論じていく。広告に許されないのは、詐欺を狙った虚偽の類だけである。たしかに現実には、許される範囲の歪曲と紛れもない虚偽とを線引きするのは難しいが、筆者としては、この二つの違いをしっかりと見極めていきたい。特に強調したいのは、両者の違いは一般に考えられているよりも判別しにくく、紙一重だということである。

広告にせよほかの分野にせよ、真実と虚偽をめぐる問題は複雑でとらえどころがない。ビジネスパーソンにはなじみが薄いかもしれないが、哲学的な視点で検討する必要がある。根底にある問題は、実利的というよりも、むしろ哲学的な性質のものなのだ。産業界のモラルについて真剣に考える人はみな、この事実を避けては通れない。読者の方にも、こうした視点は役立つうえに新鮮だと感じていただけるものと願っている。

セオドア・レビット『広告の倫理性をめぐる考察』
(1970年ハーバード・ビジネス・レビューより)

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ではまた。

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