シンボルの重要性
今回のレビット博士の文章は難しいですね。
コピーを書く上でのコツでよく言われることが、1つの文章を長くしすぎないことです。
そんなことを思いました。
―― 引用ここから ―――――――――
シンボルの重要性
シンボルがなければ、人生はよりいっそう波乱と不安に満ちたものになるだろう。歩兵はよきにつけ悪しきにつけ、だれが司令官であるかを見極める目を持たなくてはいけない。なぜなら、司令官が権力を握っているからだ。しかし、胸に輝く勲章やお付きの者の存在によって、一兵卒との違いが示されなければ、司令官といえども権威や信頼性を失ってしまう。吸血鬼柄のパッケージに入った香水や、ルーブ・ゴールドバーグが設計したコンピュータと同じである。下級兵士や一般人がシャワー室で司令官と鉢合わせすると、司令官はばつの悪そうな素振りを見せるだろう。こうした経験のある人ならわかるように、服装や見かけによって人の印象はがらりと変わるものなのだ。
言葉によるシンボルもまた、モノを売れる製品へと仕立て上げ、我々が日常生活のなかの不確実性に対処するのを助けてくれる。「ご安心ください。ウエスチングハウスですから」という宣伝文句は、タービン発電機を発注する企業にとっても、電気かみそりを購入する個人にとっても、判断のよりどころになる。企業はさまざまな趣向を凝らして、見込み客に品質を請け合おうとする。これに批判的な目を向け、「やらせ」というレッテルを貼る人々も少なくないが、賢明とはいえないだろう。さらに困ったことに、このような姿勢は、人間の率直なニーズや価値観を、事実による数々の裏付けを無視して否定しようとするものだ。宗教団体が信者を集めたり惹きつけたりするために、中身や体裁に工夫を凝らし、美しい言葉や旋律で演出しなくてはならないなら、産業界がこれと似通った趣向をより控えめに取り入れることを否定するのは、理屈に合わない。
それでもない、「企業が発信するメッセージは、受け手を惑わし、往々にして度を越している」との批判があるかもしれない。なかにはそうしたメッセージもあるが、すべてがそうだとはいえない。このテーマは、頭に血が上った批判者が考えているほど単純ではない。人間は、魅力的な演出、粋なパッケージ、創意に富んだメッセージなどによって、心を浮き立たせたいと望み、それを必要としている。親しみあるブランド名がもたらす安心感。デザイナーのオレグ・カッシーニからファッションを、デール・カーネギーから話し方を教わったセールスマンの醸し出す信頼感。そうしたものが欠かせないのだ。もちろん下品で見え透いた嘘をつくセールスマンや広告マンもいるだろう。それは芸術家、聖職者、それどころか大学教授も同じである。だが、偽りについて軽率に語る前に、物事とその説明とを区別しておくと役に立つ。
セオドア・レビット『広告の倫理性をめぐる考察』
(1970年ハーバード・ビジネス・レビューより)
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ではまた来週。