厨房室の鏡ひとつが訓練以上の効果を示す
週末のレビットアカデミー『サービス・マニュファクチャリング』です。
前回の『サービスを道具で武装せよ』からの続きです。
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厨房室の鏡ひとつが訓練以上の効果を示す
航空会社を考えてみよう。この業界には珍しい特徴がある。利用される商品(飛行機)を用意するためには膨大な資本が必要だ。ところが、その商品を顧客に提供する(飛行計画を作成し顧客を選ぶ)には、人間に依存しなければならない。一機が2,000万ドルもする飛行機が稼ぎ出してくれるはずの利益も、ひとりの意地悪で非協力的な予約係によって、あっという間に減ってしまう。料理長が念入りにつくった機内食で再度の搭乗を期待しても、ひとりのふくれっ面をした陰気な客室乗務員の手で台無しにされてしまう。
事実、客室乗務員の仕事は特に難しい。料金に見合うサービスを期待した100人からの旅行者はみな、当然それ相応の心遣いをしてもらえるものと期待している。この客たちにサービスするために3人の乗務員がいるけれども、3人だけの手によるサービスでは、飲み物と食事の手配が遅くなるのはやむをえない。旅慣れた客なら、3人の客室乗務員がてんてこ舞いしている事情も理解し、許してもくれるだろう。しかし少数とはいえ、なかにはいらいらして責め立てる客もいる。すると、乗務員の表情や身ぶりにいらいらが出て、ぞんざいになる。ひいては、全部の客が投げやりな扱いをされたような気持になってしまう。人間なら当たり前のことである。それに乗務員は一日中立ちっ放し、あるいは前の晩、2、3時間しか眠っていないかもしれない。
「もっと多くの、もっと内容のある訓練を」と叫んでも、事態はあまり変わらないだろう。サービスに対する要素が殺到すると、サービスの質は低下する。どんなに心遣いや冷静さを保つ訓練を受けていても、また、制服がいかに美しいものであっても、サービス要求が
一度に殺到したならば、明るいしぐさや表情はとたんに崩れてしまうだろう。
ところが、機内の厨房室に鏡を取り付けたらどうだろうか。乗務員が部屋に入るたびごとに自分の姿が見える。鏡の前を通るごとに鏡を見て、髪の乱れを直したり、口紅の崩れを整えたり、たけだけしい表情をにこやかにしたりするようになるのではないだろうか。立ちどころに事態はよくなるだろう。訓練など必要ではない。
ほかにも方法がある。乗務員が通路を足早に歩いて、手にラム酒入りボンボンを差し出しながら、「アイスクリームをお出しできるまで、こちらをどうぞ」と声をかける。こうすると機内の緊張はほぐれ、一種柔らかい雰囲気が醸し出される。「お客様が素早いサービスを待ち望んでいることは十分承知しています」というメッセージで、乗務員もベストを尽くして素早いサービスを提供しようとしていることを知らせるのだ。さらに、乗務員と乗客の間に親しみの込もった関係が生まれ、がみがみ責め立てられることも減るだろう。そうなれば、他の客をいらだたせることも少なくなる。
製造という観点から見れば、この2つの提案は、精神訓話に代えて道具(私はむしろテクノロジーと呼びたい)を整備したものである。鏡は、自発的なやる気を起こさせるための道具であって、ひとりでに乗務員の表情やしぐさの改善が期待できる。ボンボンは柔らかい人間同士の関係をつくり出す道具であって、乗客のいらだちと他の乗客の乗務員に対するいらだち双方を静めてくれる。
これら2つの提案はたいしたことではないが、実は社長の工場訪問も同じことなのである。両者とも、利点はだれの目にもはっきりしている。しかしそれを引き出すためには、問題の本質は何か、期待される成果は何かについて、まるで工場のエンジニアのように考えなければならない。工程をどう再設計すべきか。その作業はひとりでにできるような道具をどのように整備すべきか。人間の労働が必要な場合には、個々の行動をどのように「コントロール」して、彼らの選択をどのように一定の型にはめていくかを思いめぐらさなければならない。
セオドア・レビット『サービス・マニュファクチャリング』
(1972年ハーバード・ビジネス・レビューより)
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レビット博士の提案自体には疑問符がつきますが、視点はまさに現代サービスに通じる弱点を言い当てています。
工業製品や家電でも、一か所でもショートするとまったく使えなくなる、ということはあります。
同様にサービスも、一か所ヘマをすると、全体が台なしになることもあります。
とはいえ、絶対にヘマがなくなるワケではありません。
どんなヘマは許されて、どんなヘマは許されないのでしょうか?
また取り返しのつくヘマと、取り返しのつかないヘマの違いはなんでしょうか?
是非、考えてみてください。