事業衰退の原因は経営の失敗にある
予告通り、さっそく行きましょう。
―― 引用ここから ―――――――――
事業衰退の原因は経営の失敗にある
主要産業と言われるものなら、一度は成長産業だったことがある。いまは成長に沸いていても、衰退の兆候が顕著に認められる産業がある。成長の真っただにいると思われている産業が、実は成長を止めてしまっていることもある。
いずれの場合も成長が脅かされたり、鈍ったり、止まってしまったりする原因は、市場の飽和にあるのではない。経営に失敗したからである。
失敗の原因は経営者にある。つまるところ、責任ある経営者とは、重要な目的と方針に対応できる経営者である。具体例を示そう。
●鉄道会社のケース
鉄道が衰退したのは、旅客と貨物輸送の需要が減ったためではない。それらの需要は依然として増え続けている。鉄道が危機に見舞われているのは、鉄道以外の手段(自動車、トラック、航空機、さらには電話)に顧客を奪われたからでもない。鉄道会社自体がそうした需要を満たすことを放棄したからなのだ。
鉄道会社は自社の事業を、輸送事業ではなく、鉄道事業と考えたために、顧客をほかへ追いやってしまったのである。事業の定義を誤った理由は、輸送を目的と考えず、鉄道を目的と考えたことにある。顧客中心ではなく、製品中心に考えてしまったのだ。
●映画会社のケース
映画の都ハリウッドは、テレビの攻勢による破滅からかろうじて踏みとどまっている。現実には、すべての一流映画会社は、昔の面影が残らないほどの大変革を余儀なくされ、なかには、はやばやと消え去った会社もある。
映画会社が危機に陥ったのは、テレビの発達によるものではなく、「戦略的近視眼」のためである。鉄道会社と同じように、映画会社も事業の定義を誤ったのだ。映画産業をエンタテインメント産業だと考えるべきだったのに、映画を制作する産業だと考えてしまったのである。映画という製品は、他のもので代替などできない特殊な商品だ ―こう考えてしまうと、ばかげた自己満足が生まれる。映画製作者は、初めからテレビを脅威として見てしまった。ハリウッドはテレビの出現を自分たちのチャンス- エンタテインメント産業をさらに飛躍させてくれるチャンスとして歓迎すべきだったのに、これを嘲笑し、拒否してしまった。
今日、テレビは狭い意味に定義されていた映画産業よりも巨大な産業である。ハリウッドが、製品中心(映画の制作)ではなくて、顧客中心(娯楽の提供)に考えていたら、財政的に苦しむこともなかっただろう。結局、ハリウッドを救い、再起をもたらしたのは、若手の脚本家、プロデューサー、監督たちである。彼らは、かつての古い体質の映画会社を打ちのめし、映画界の大物を動揺させながら、テレビ界で名を挙げてきた。
このほかにも、事業目的を誤って定義したために将来が危ぶまれるようになった例がある。そのうちのいくつかは、後ほど詳しく議論し、苦境に追い込んだ原因について分析してみたい。ここでは、明らかにチャンスを逸した場合でも、顧客中心の経営を徹底すれば、成長産業であり続けられるということを示したい。
デュポンとコーニングは、長い間競合関係にあった。共にナイロンとガラスの製造に優れ、技術力が非常に高く、製品中心型の企業であることは間違いない。しかし、両社の成功は製品だけによるものではない。大昔のニューイングランドの織物会社ほど、製品中心で製品重視を打ち出していたところはなかったが、いまではその片鱗もなく消え失せてしまっている。
デュポンとコーニングの成功要因は、製品志向やR&D志向であると同時に、顧客志向に徹していたことにある。技術ノウハウを応用し、顧客を満足させるチャンスを常に探し続け、膨大な数の新製品を生み出し、ことごとく成功させてきた。顧客について鋭い目を配っていなかったら、新製品の大部分は的外れなものとなり、その販売方法も空回りしていたに違いない。
アルミニウム産業も成長を続けている。これは戦時中に設立された二つの企業のおかげである。カイザー・アルミニウムとレイノルズ・メタル(訳注:現アルコア)によって、顧客を満足させるまったく新しいアルミニウムの用途が開発されたのである。この二社が存在しなかったら、今日のアルミニウム総需要ははるかに少ないものになっていただろう。
経営の想像力と大胆さ
鉄道産業とアルミニウム産業を比べたり、映画産業とガラス産業を比較したりするのは愚かなことだと批判する人がいるかもしれない。アルミニウムやガラスはもともと生産素材で汎用性が高いのだから、鉄道や映画よりも成長の機会に恵まれていて当然だと。その考え方こそ、私が本稿で述べてきた失敗に陥らせた根本原因である。
産業や製品、あるいは技術ノウハウについて狭く定義してしまったがために、それらを十分花咲かせないままに衰退させてしまう。「鉄道産業」の場合、その意味は「輸送産業」でなければならない。輸送産業としてなら、鉄道にもまだまだ成長できるチャンスがある。鉄道による輸送だけに限定することはないからだ(もっとも、鉄道輸送は世間が考えているよりも、はるかに強力な輸送手段になりうると私は考えている)。
鉄道産業に欠けているものは、成長のチャンスではない。鉄道をここまで大きくした、経営的な想像力と大胆さなのである。ジャック・バーザンのような素人でさえ、鉄道に欠けているものに気付いて、次のように述べている。「前世紀において最も進んだ物的社会的組織(鉄道)が、それを支えていた想像力を欠いたために、みじめで不名誉な地位に落ちていくのを見ると、慚愧に堪えない。いま鉄道に欠けているものは、創意と手腕によって生き残り、大衆を満足させようという会社の意志なのである」
セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)
―― 引用ここまで ―――――――――
1960年代のアメリカのハナシ、と軽んじるのは勝手ですが、
ここで語られている、マーケティング近視眼は、
間違いなく、現在の日本にも存在しています。
そして、プロダクト・ライフサイクル、
流行り廃りのスピードがあがってきている
現代においては、より、その影響力を
増してきていることでしょう。
顧客は誰なのか。
その顧客が望むものはなんなのか。
ビジネスオーナーは、
生き残りをかけて、
この問いに答えなければなりません。
続きます。