忍び寄る陳腐化の影

顧客が誰で、その顧客の望むことは何なのか?

難しい問いではありますが、ヒントはあります。

わたしが常に意識していることを共有すると・・

もし、あなたの顧客が法人(BtoBビジネス)であるならば、
あなたの提供する商品・サービスが、
顧客の財務諸表(BS、PL、CF)を、どう“善くする”のか?

もし、あなたの顧客が個人(BtoCビジネス)であるならば、
あなたの提供する商品・サービスが、
顧客の人生の質を、どう“善くする”のか?

と考えてみる。

もっというと、“そっちの方角”の遠くに目を向けてみる。

これによって、
「この商品・サービスはここがいい、あそこが優れている」
といった製品視点から、

「これによって、お客様にはこんなメリットがありますよ」
という顧客視点に少し近づけます。

では、本日も引き続き、レビット博士の言葉を紐解きましょう。

―― 引用ここから ―――――――――

忍び寄る陳腐化の影

主要産業といわれるもので、ある時期に「成長産業」という名称を与えられなかった産業など一つもない。どれを見ても、その強みは、明らかに製品の優秀さにあった。有力な代替品もありそうになかった。その製品自体が既存の製品を蹴落とす代替品として、圧倒的な力を見せたのである。ところが、このような花形産業にも衰退の影が忍び寄ってくる。あまり注目されなかったケースについて、少々触れておきたい。

●ドライクリーニング産業
かつてドライクリーニング産業は、前途洋々の成長産業であった。ウール衣料全盛の時代には、衣料を傷めず簡単に洗うには、結局ドライクリーニングしかないと考えられており、その活況は長らく続いた。しかし、ブームが始まって三〇年が経ったいま、ドライクリーニング産業は苦境に立たされている。そのライバルはどこから来たのだろうか。より優れたクリーニング法が生まれたのだろうか。そうではない。合成繊維と化学添加剤の登場で、ドライクリーニングの必要がなくなったのである。これはまだ序の口にすぎない。化学処理を行うドライクリーニングを徹底的に陳腐化させる強力な魔法使い -超音波クリーニングが、翼を伏せて、いつでも飛び立とうと身構えているからだ。

●電力事業
電力にも代替品がなく、向かうところ敵なしに成長を続けると考えられている。白熱電球の登場によって、石油ランプの時代は終わった。電動モーターの汎用性、信頼性、操作性、どこでも容易に使用できる利便性によって、水車も蒸気エンジンも粉砕されてしまった。電力事業は目を見張るばかりの繁栄を続け、家庭はいまや電気器具の展示場のようだ。向かうところ敵なしであるのに加え、成長が約束されており、電力事業に投資しない人間などいない。

しかしよく見直してみると、万事順調というわけではない。というのは、電力会社以外で燃料電池の開発を進めている会社があるからだ。この装置は各家庭の人目につかない場所に設置され、音も静かである。この燃料電池が普及すると、住環境の美観を損なっていた電線も姿を消すことになる。街路を不断に掘り返す工事や、台風時の停電もなくなるだろう。近い将来、太陽エネルギーの研究も、電力会社以外の企業によって進められるに違いない。

こう考えると、電力会社にライバルはいない、とだれが言えるだろう。現在、電力会社が独占企業であることに間違いはないが、将来、死滅の時を迎えてもおかしくない。これを避けるには、電力会社も、燃料電池、太陽エネルギー、その他の新しいエネルギー源の開発に努めなければならない。生き残りをかけて、現在の糧を自ら陳腐化させなければならないのである。

●食料品店
昔、「街角の食料品店」という名で呼ばれ、かなり繁盛していた店舗があったことを、ほとんどの人は覚えていないだろう。スーパーマーケットの効率性がこのような食料品店を押しつぶしてしまったのである。
一九三〇年代、このスーパーマーケットの攻勢から何とか逃れられて存続できたのは、大規模食料品チェーン店だけであった。最初の本格的なスーパーマーケットは、三〇年にロングアイランド州ジャマイカで生まれた。三三年までにはカリフォルニア、オハイオ、ペンシルバニアその他の各州に広がっていった。ところが、既存の食料品チェーン店は尊大に構えたまま、スーパーマーケットの成長を無視した。その後、やっとその存在に気付いた時でさえ、「安売り屋」「荷馬車行商人」「素人商店経営」さらには「商人道徳のない一発屋」といった表現で嘲笑したのである。

当時、ある大規模チェーン店の経営者は次のように言った。「人々が何マイルもの遠方から食品を買いに来るなんて信じられない。チェーン店の行き届いたサービスには奥様たちもなじんでくれていて、それを犠牲にすることはありえない」

三六年になっても、全国食品卸商会議やニュージャージー州食品小売商協会は、スーパーマーケット恐れるに足りず、とばかりにこう宣言している。「スーパーマーケットは価格の安さを求めて来店する顧客に受けているのだから、市場規模は限られている。だから、周囲数マイルもの広い地域を商圏にしなければならない。商圏内に競合店が現れたら、互いに売り上げが落ち、ついには大型倒産が起こるだろう。現在、売上げが伸びているのは、一つには物珍しさからだろう。消費者は、家の近くの便利な店がよいに決まっている。もし近所の食料品店が仕入先と協力し合って、コストに注意を払うと同時にサービスもさらに改善すれば、スーパーマーケットとの競争に耐え抜いて、やがて嵐も収まるだろう」

ところが、嵐は収まらなかった。食料品チェーン店が生き残るためには、みずからがスーパーマーケット事業に進出せざるを得ないことに気づいた。この意味することは何か。それは、食料品チェーンがいままでに街角の店の敷地や、独特の配送方法、マーチャンダイジング方式に投資してきた巨額の金がすべて無駄になるということなのだ。しかし、信念を貫く勇気を持ったいくつかの食料品チェーン店は、街角店の原理に固執した。彼らは誇りを捨てなかったが、無一文になってしまった。

セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)

―― 引用ここまで ―――――――――

繰り返しになりますが、1960年以前に書かれたものです。
その前提を踏まえて、いま現在、そして未来にも通じる
不変の法則を読みとってください。

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