人口増加という危うい神話
人口と市場について。
いまの日本は、少子高齢化が叫ばれています。
まともに考えれば消費者数が減るわけですから、ほとんどの市場は細ります。
その前提があるので、人口増が見込める海外の市場を開拓しよう、と発想します。
これ自体、悪い発想だとは思いませんが、もちろん、その海外の市場もいずれ細ります。
レビット博士の見解はどうでしょう。
―― 引用ここから ―――――――――
人口増加という危うい神話
人口は増え続け、しかも人々が豊かになるので、利益は保証されているという確信はどの産業でも根強い。
しかし、この確信ゆえに、未来への判断を鈍らせてしまう。消費者の数が増え続け、製品やサービスをどんどん買ってくれるとしたら、市場がだんだん先細りになる場合に比べれば、未来を安易に考えるのも無理はない。市場が拡大している時には、メーカーは真剣に思考したり、想像力を働かせたりはしない。問題があれば知的に反応することを思考だとするなら、問題がなければ思考は停止してしまう。もし、ひとりでに拡大する市場があるとしたら、どのようにして市場を拡大すべきかなど真剣に考えたりしないだろう。
これについて興味深い事例がある。石油産業には、アメリカでいちばん古い成長産業という、輝かしい歴史がある。現在、その成長率を危ぶむ説もあるが、石油産業自体は楽観的な見方を取り続けている。とはいえ、石油産業にも他の産業と同じ基本的な変化が訪れているはずである。成長を続けることが難しくなっているばかりでなく、他の産業に比べると衰退産業であると言わざるを得ない現実がある。まだ人々は気づいていないが、二五年以内には、鉄道がいま直面しているような過去の栄光を懐かしむ立場に追い込まれるのではないだろうか。投資評価のNPV(正味現在価値)法の開発と応用、社員との関係や発展途上国との合弁事業などで見せたパイオニア的な業績にも関わらず、自己満足と頑迷さとが、いかにチャンスを台無しにするかという、悲劇的な事例となってしまっているかもしれない。
増大する人口が望ましい結果に繋がると信じてきた産業、また同時に強力な代替品は存在しない素材製品を持っている産業の特徴とは何だろう。業界内の各社は既存の製品や販売方法を改良することで、他社よりも一歩先んじようと努力する。もちろん、顧客が製品特性だけで製品を比較するために、売上高が国の人口数と比例するというのであれば、この努力も意味があるだろう。
ジョン・D・ロックフェラーが中国へ石油ランプを無料で送って以来、石油産業は何一つ際立った需要創造の努力をしてこなかった、という事実を無視してはいけない。実際には、製品改良にさえ、これといった実績を残していないのである。ただ一つ最大の改良、テトラエチル鉛の開発も、実は石油産業以外 -ゼネラル・モーターズとデュポン- から生まれたものだ。石油産業の大きな貢献といえば、油田探査や採油、精製の技術くらいのものである。
つまり、石油産業の努力は石油の採掘と精製の効率改良にのみ向けられ、石油製品そのものの品質改良やマーケティングの改良に対しては何もしてこなかったのだ。さらに、主要製品をガソリンというごく狭い範囲に限定しており、エネルギー、燃料、輸送用の資源という、幅広い定義をしなかった。その結果、次のようなことが起こった。
- ガソリンの品質についての大きな改良は、石油産業から生まれなかった。優れた代替燃料(後述する)の開発も、石油産業によるものではない。
- 自動車燃料のマーケティングを変革したのは小さな石油会社によるもので、同社は石油の採掘や精製とは無縁だった。給油ポンプを多数設備したガソリン・スタンドを次々と作り、広くて清潔な店舗レイアウト、スピーディで効率的なサービス、良質なガソリンの廉売に力を傾け、成功を収めた。
このように、石油産業は難問を抱え込むことになった。いずれも石油産業以外から持ち込まれたものである。遅かれ早かれ、この産業にリスクを恐れない革新者や起業家が現れ、危機がもたらされることは間違いない。この危険性をもっとはっきり示そう。次に挙げる、経営者の多くが抱いている危険な確信に目を向けてみればこのことはわかるだろう。これは最初の確信と密接な関連があるので、いま一度石油産業を例に取ることにする。
セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)
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続きます。