代替品が現れない製品はない
確か2010年のことだったと思います。
『危機の経営』の著者でもある、
吉川良三先生の講演会で
「危機意識を持て、と口ではいうが、
それを理解し実践している経営者は少ない」
みたいなことを言っていたのを思い出しました。
危機意識とは、辞書によれば、
1.危機が迫っているということを感じること。危機感。
2.既成の秩序や価値観が崩壊しつつあることを認識し、これに対処しなくてはならな
いとする自覚。
とのことです。
危機意識をもって、経営にあたるのか、
「時代の変化に対応できなかった」との弁を残し、
市場から去っていくのか・・・。
レビット博士は、
幸運に恵まれるには、自ら幸運をつくり出すのが最良の方法だ。
といっています。
―― 引用ここから ―――――――――
代替品が現れない製品はない
石油産業には、その主要製品であるガソリンに匹敵するような代替品はなく、しいて挙げればディーゼル燃料やジェット燃料など原油からの精製品だろう、と一般的に考えられている。
この考え方は、多分に希望的観測によるものだ。問題は、ほとんどの石油精製会社が膨大な量の原油を貯蔵していることにある。貯蔵原油に価値があるのは、原油を原材料とする製品の市場が存在している時だけだ -したがって、原油からつくられる自動車用燃料の競争優位は揺るがない、という確信が生まれたのである。
過去の歴史上の事実は、この確信が誤っていると教えている。にもかかわらず、この確信は根強い。歴史が証明しているように、石油はどんな目的にも長期間にわたって優れた製品であったことはない。それどころか、石油産業は成長産業であり続けたこともない。成長、成熟、衰退という通常のサイクルを経た事業の連続に過ぎない。
石油産業が生き延びてこられたのは、幸運が続き、陳腐化の底に落ち込むのを奇跡的に救ってくれたからだ。ちょうど使徒パウロが危機に陥った時に、土壇場で思いがけなく刑の執行が延期されたようなものである。
~中略~
幸運を呼び込む方法
今日、石油化学産業が急速に発展しているからといって、石油会社の経営者は安穏としてはいられない。石油化学工業もまた、大手石油会社が手がけたものではないのだ。アメリカ全体の石油化学製品の生産高は、全石油製品の需要量の約二パーセントにすぎない。石油化学工業は年間約一〇パーセント成長すると見込まれているが、この程度では他の面での原油消費量の落ち込みをカバーできるものではない。
石油化学製品は種類も多い。それぞれ成長しているとはしても、石炭など石油以外の基礎原料があることも忘れてはならない。そのうえプラスチックなどは、比較的少量の石油から大量に生産できる。石油プラントの効率性を考えると、最低一日五万バレルを精製しなくてはならないが、石油化学工業では、一日五千バレルの石油消費が最大規模である。
石油は、過去においても常に成長産業であったわけではない。石油産業以外のイノベーションや開発に奇跡的に救われて、思い出したように成長したにすぎない。なぜ石油産業は成長路線をスムーズに歩めなかったか。優れた代替品が登場する恐れはないと業界が考えるたびに、石油は製品としての優位性を失い、陳腐化の道をたどらざるを得なかったからである。これまでのところ、ガソリンは自動車用燃料としては、この陳腐化の運命を逃れている。しかし、後述するように、ガソリンもまた、やがて瀕死の床に横たわるはずである。
以上の物語のポイントを指摘すると、製品の陳腐化を免れる保証は何もないということだ。たとえ自社の製品研究では陳腐化が起こらなかったとしても、他社の技術開発によって陳腐化することもある。石油産業のように、特別な幸運に恵まれない限り、やがては赤字の泥沼に落ち込んでしまうことは目に見えている -ちょうど鉄道がそうだったように。馬車のムチ製造業がそうだったように。街角の食料品店がそうだったように。そうした例は数え切れないほどある。
幸運に恵まれるには、自ら幸運をつくり出すのが最良の方法だ。そのためには、事業を成功させる要因を知らなければならない。それを妨げる最大の敵の一つが大量生産である。
セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)
―― 引用ここまで ―――――――――
続きます。