マーケティングは販売とは異なる
どうして、マーケティングは軽視されるのでしょうか?
実は、そのヒントはセールスを学ぶと分かります。
セールスの勉強をすると、購買心理についての様々なトリガーを学ぶことになります。
たとえば、ひとは得することより、損することに敏感に反応するとか、です。
その中でとても重要なのが、ひとはいつだって自分のことで頭がいっぱい、ということです。
売り手は、売り手の立場でしか、考えたり、物事を見ることができません。
買い手は、買い手の立場でしか、考えたり、物事を見ることができません。
で、あるならば・・・、
キレイゴトを抜きにして、あなたが売上を上げたいのであれば、
そこに付け込まない手はないと思うのですが。。
さて、以下、以前も引用しましたが、気にせず掲載いたします。
―― 引用ここから ―――――――――
マーケティングは販売とは異なる
大量生産型の産業は、できる限り生産量を増やそうとする。生産量の増加に伴い、急速に製品の限界コストが低下する魅力には、どんな会社でも抗し切れるものではない。それがもたらす利益の増大は何より素晴らしい。したがって、企業努力は生産に集中し、その結果、マーケティングは軽視される。
ジョン・ケネス・ガルブレイスはこれと逆の現象が起こると言う。生産量が膨大になるので、市場で処分するために懸命な努力がなされる、というのだ。彼によれば、騒がしいコマーシャルが流れたり、田園風景が広告で汚され、浪費としか思われない低俗な販促手法が取られたりするのは、このためだという。
ガルブレイスは一面の真理を突いているが、戦略的な面で過ちを犯している。大量生産が製品の「移動」に圧力をかける原因であることは間違いない。しかし通常、そこで強調されるのは販売であって、マーケティングではない。マーケティングは販売よりも高度で難しい機能なのに無視されるのだ。
マーケティングと販売は、字義以上に大きく異なる。販売は売り手のニーズに、マーケティングは買い手のニーズに重点が置かれている。販売は製品を現金に替えたいという売り手のニーズが中心だが、マーケティングは製品を創造し、配送し、最終的に消費させることによって、顧客のニーズを満足させようというアイデアが中心である。
産業によっては、大量生産の能力を最大限に利用したいという誘惑にかられ、何年もの間、経営トップが販売部門にはっぱをかけてきた。「製品をあますところなく売りまくれ。そうしないと利益が出なくなるぞ」
対象的に、真のマーケティング・マインドを持った企業は、消費者が買いたくなるような値打ちのある製品やサービスを創造しようとする。売ろうとするのは、製品やサービスそのものだけではない。それがどのようなかたちで、いつ、どのような状況下で、どのような取引条件により、どのように顧客に提供されるのか、ということも含めて、すべて売ろうとするのだ。
最も重要なことは、企業が売ろうとするものが、売り手によって決まるのではなくて、買い手によって決まるという点である。売り手は買い手からの誘導によって動くのであり、売り手のマーケティング努力の成果が製品になる。けっしてその逆ではない。
セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)
―― 引用ここまで ―――――――――
続きます。