製品偏重主義の罠
正直に告白します。
わたしも、このワナには、よくハマります。
完全にワナにかからないことはムリです。
しかし、
「おっと、いけない。いつものワナにハマっていたぞ」
と、
気付けるか、気付けないかは大きいと思います。
―― 引用ここから ―――――――――
製品偏重主義の罠
生産にかかる限界コストさえ低くすると、なんとか利益が出るという考え方は大変な思い違いで、会社をだめにする。特に需要の拡大する成長企業では、マーケティングや顧客を重要視しない傾向がある。
このような狭量の偏見から生じるのは、成長ではなく衰退である。常に変化しつづける消費者ニーズや嗜好に対して、製品が上手く対応できなくなるに違いない。自社の既存製品しか目に入らないため、その製品が陳腐化しつつあることに気付かないのである。
この古典的な例が、馬車のムチ製造業だ。製品改良をいくら試みても、死の判決から逃れることはできなかった。しかし、馬車のムチ製造ではなく、輸送を事業と捉えていたら、生き残れたかもしれない。存続に必要なこと、すなわち変革を試みていたかもしれない。輸送事業とまではいかないまでも、動力源に対する刺激、あるいは触媒を提供する事業だと定義していたとしたら、ファン・ベルトかエア・クリーナーのメーカーとして生き残れたかもしれない。
いつの日か、石油産業も同じような古典的事例になるかもしれない。石油産業は、素晴らしいチャンスを他の産業に盗まれてきたので(例えば、天然ガス・ミサイル燃料・ジェットエンジン用潤滑油)、二度と同じ過ちは繰り返さないだろう、と誰もが考えているのではないか。
しかし、事実は違う。馬力の大きい自動車用に設計される燃料システムにおいて、画期的な開発がなされつつあるが、ほとんどが石油会社以外の企業によるものだ。石油産業は石油と結びついた幸福にうつつを抜かし、こうしたイノベーションを無視してしまっている。
石油ランプが白熱電球に直面したときの物語と同じである。現在石油産業は炭化水素燃料の改良を試みているくらいで、石油以外の原料であろうとなかろうと、ユーザーのニーズに一番適合した燃料を模索することなど、何ら試みていない。
~中略~
燃料電池を多少研究している企業はいくつかあるが、大部分の石油会社は、炭化水素を動力源とした装置に固執している。燃料電池やバッテリー、太陽エネルギーによる動力の研究に熱心に取り組んでいる企業は一社もない。ガソリン・エンジンの燃焼室の沈殿物を減らすといった平凡な研究にかけている費用の何分の一かでさえも、これらの重要分野に割いてはいないのである。
ある大手の総合石油会社が、最近、燃料電池の将来を予想して、次のように結論づけた。「燃料電池を熱心に研究している会社に言わせると、将来きっと成功しているということだが、当社にしてみれば、燃料電池の影響がいつ頃、どれくらいの大きさで出てくるのか、あまりにも遠い将来のことなので、さっぱりわからない」
もちろん、「なぜ石油会社が現在の事業とは違うことに取り組まなければならないのか」
「燃料電池やバッテリーや太陽電池などは、現在の石油会社の製品ラインを無用にしてしまうのではないか」といった疑問が出てくるかもしれない。答えはまさにその通り。だからこそ、石油会社はその競争相手よりも先に、これら新しい動力源の開発を進めなければならない。石油産業が消えてしまえば、石油会社は存在し得ないからだ。
石油会社の経営者が、自社の事業はエネルギー産業であると考えれば、それは企業の存続に必要なことであるはずだ。ただし、エネルギー産業と自覚しただけでは十分ではない。従来と同じ製品中心主義の狭い考え方を捨てなければ、その自覚も無駄になる。石油会社は石油を発見し、精製し、売るのが仕事ではなく、顧客のニーズを満たすことが仕事なのだ。輸送についてのニーズを十分に満たすのが仕事だと石油会社が正しく認識したならば、驚くほどの利益を生む成長を阻む障害は一つもないのである。
セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)
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続きます。