発想を逆転させなければならない
数日開きましたが、レビット博士の続きです。
もうお分かりかと思いますが、レビット博士は行き過ぎたマーケティング至上主義からくるセールス蔑視がみられます。
いはく・・・
“販売は企業の製品と顧客のキャッシュを交換するためのテクニックである。その交換によってどんな価値が生まれたのかは関係ない”
“販売では、顧客とは、どこか外側にいる見知らぬ人であり、うまい手を使えば、その小銭を吐き出させることが出来る相手にすぎないのだ”
とはいえ、昨日取り上げたような、狡すっからい火事場泥棒みたいな消費税対策をしている業者もいるわけで、レビット博士も草葉の陰で泣いていることでしょう。
―― 引用ここから ―――――――――
発想を逆転させなければならない
産業活動とは、製品を生産するプロセスではなく顧客を満足させるプロセスであることを、全てのビジネスマンは理解しなければならない。顧客とそのニーズから始まるのであって、特許や原材料、販売スキルからではない。顧客ニーズを明らかにして、顧客を満足させるには何をいかに提供すべきか、と逆に進むべきである。さらに逆進して、顧客に少しでも多くの満足を与えられる製品を創造すべきである。
顧客にすれば、この製品がどのように生産されているかということはどうでもよいことだ。したがって、製造方法、加工方法、そのほかの作業の具体的内容は、産業活動の重要事項とは見なされない。さらに逆に進んで最後に来るのが、生産に必要な原材料を見つけることなのである。
R&Dを重視する産業にとって皮肉なことは、経営の席につ着いている科学者たちが組織全体のニーズや目的を定義する場合になると、全く科学的でなくなる、という点である。彼らは、科学的方法における二つの基本的なルール――企業の課題は何かを突き止めて問題の定義をする、次にその問題を解くための仮説を立てる――を破る。彼らは研究室や製品実験といった勝手のわかるものについてだけ科学的なのだ。
顧客(そして彼らの心の底にあるニーズを満たすこと)が企業課題として考慮されないのは、顧客に問題はないと確信しているからではない。科学者として昇進してきたために、経営を逆の方向には進ませたくはないからだ。彼らにすれば、マーケティングは傍流部門なのである。
私はこれらの産業で販売が無視されているといっているのではない。繰り返しになるが、販売とマーケティングは違う。既に述べたように、販売は企業の製品と顧客のキャッシュを交換するためのテクニックである。その交換によってどんな価値が生まれたのかは関係ない。販売はマーケティングとは異なり、顧客ニーズを発見し、創造し、触発し、満足させるといった一連の努力こそ事業活動の全てである、という立場にはない。販売では、顧客とは、どこか外側にいる見知らぬ人であり、うまい手を使えば、その小銭を吐き出させることが出来る相手にすぎないのだ。
技術志向の会社の中には、このような販売にさえ、あまり大きな注意を払わないところがある。次々と新製品を発売しても販売が保証された市場があるために、市場とはどんなものかを全く知らない。あたかも計画経済の中にいるかのように、製品は工場から小売店に間違いなくひとりでに移動する、と考えている。製品にだけ目を向けてこれまで成功してきたものだから、過去のやり方が正しいと思い込んでいる。従って、市場の上に怪しげな雲が集まり始めているのに気づかない。
セオドア・レビット『マーケティング近視眼』
(1960年ハーバード・ビジネス・レビューより)
―― 引用ここまで ―――――――――
ではまた。