どんな産業にもサービスの要素がある
それでは始めて行きましょう。
『サービス・マニュファクチャリング』です。
この論文自体は1972年のことです。
念のために1972年当時のアメリカについて、
代表的な出来事を書いておきますと、
・大統領はリチャード・ニクソン
・ベトナム戦争末期
・米大統領として初の訪中
・沖縄を日本に返還
・ウォーターゲート事件
などです。
日本では、
・あさま山荘事件
・沖縄返還
・第一次田中角栄内閣発足
・日中国交正常化
などなど。
事例などを読む際には、一応、この点を抑えたうえで、
ご理解ください。
―― 引用ここから ―――――――――
どんな産業にもサービスの要素がある
経済全体におけるサービス部門は、規模は拡大しているが、その質は低下しているといわれている。サービスを提供する側からすると、サービス産業の課題は、他の産業の課題と根本的に違うと考える。サービスは人間に依存しているが、それ以外の産業は資本に依存しているというのである。しかし、このような区別の仕方は大変な間違いである。もともとサービス産業などというものは存在しない。他の産業に比べて、サービスの部門が大きいか小さいかの区別があるだけである。どんな産業にも、サービスの要素があるのだ。
サービスの要素が小さく見える産業ほど、実は大きなサービスを提供している場合が多い。製品が技術的に複雑になればなるほど(たとえば車やコンピュータ)、その売上は、製品関連の顧客サービス(たとえば展示場、納品方法、修理メンテナンス、アプリケーションによる手助け、オペレーターの訓練、設置の際のアドバイス、保証など)の質に大きく左右される。この意味からすると、ゼネラルモーターズはおそらく、製造中心企業というようりも、サービス中心企業と言えるのではないか。もしサービスがなかったとしたら、売上は減少してしまうだろう。
だから経済全体におけるサービス部門は、銀行、航空会社、メンテナンス会社のような、いわゆるサービス産業だけから成り立っているのではない。製造業の提供する、行き届いた製品関連サービス、小売業の提供する販売関連サービスもこれに含まれる。ところが、時代遅れの産業分類法が一般に用いられているせいで、我々はどうも混同してしまい、実害も生じている。例を挙げよう。
●シティバンク
シティバンクは、世界最大の銀行のひとつである。およそ3万7千人の行員がいて、その半数以上は直接、顧客に接してモノ(ほとんどはカネと預金講座サービス)を販売するか、顧客がすでに購入したモノに関して手助け(小切手を現金に替える、預金口座の種類を増やす、信用状を作成する、貸金庫の鍵を開ける、会社の流動資産を管理する)をしている。ところが、残りの従業員の大部分は「工場」と呼ばれる場所で裏方として働いている-それはまさしく工業の現場で、人間と紙とコンピュータの膨大なかたまりが、顧客サービスを担当するグループのすべての仕事を整理し、記録し、確認し、検査している。国勢調査局を含めて、企業分類では例外なく、シティバンクはサービス企業に分類される。
●IBM
IBMは世界最大のコンピュータ・メーカーである。約27万人の従業員のうち、その大半は直接に顧客に接してモノ(ほとんどハードウェア)を販売するか、すでに購入したモノを顧客が使いやすいよう手助け(コンピュータ本体を設置したり修理したりする、プログラムを作成する、顧客のトレーニングを引き受ける)する。残りの従業員の大部分は、工場-電線とマイクロ電子部品と技師と組立工からなる巨大集団-のなかで働いている。IBMは例外なく製造企業と分類される。
何かが間違っているが、国勢調査局だけに罪があるのではない。分類方法よりも産業界が急速に変化したのだ。事が分類法だけだったら、いかに矛盾に満ちた分類をしようとも、その結果は大した問題にはならない。結局、人間は矛盾とうまく共存している。たとえば、神と科学とを同時に信じているし、企業が重要な決定を下す時には事実と論理に頼りながら、結婚という最も重要な人生における決定を下す場合には感覚と情緒に頼り切る。
本稿では、サービスについての矛盾に満ちた考え方が、いかに不幸な結果をもたらすかを明らかにしたい。この矛盾を正さない限り、いまのところ手に負えないように思われる問題を解決することはできないだろう。そのためには、企業がいわゆるサービス活動に直面した時、サービスも製造も同じ機能を果たすのだと考えなければならない。そう考えて、初めてサービスの質と効率の向上に大きな前進があるだろう。
セオドア・レビット『サービス・マニュファクチャリング』
(1972年ハーバード・ビジネス・レビューより)
―― 引用ここまで ―――――――――
まだまだ導入部ですが、肝心な前提について触れています。
すべての産業にサービスの要素がある。
そしてサービスも製造も同じ機能を果たす。
これらは、2014年の現代日本では、より顕著になっていると
言えるでしょう。
批判を恐れず極論するならば、
すべての産業は広義のサービス業となったといっても
過言ではないです。