顧客が何を求めているかで製品を定義する

長かった今回のレビット博士の論文も、いよいよ本題に入ります。

―― 引用ここから ―――――――――

顧客が何を求めているかで製品を定義する

これまでの事例を通じたポイントは何だろう。製品というものは、一般的に考えられている内容とはまったく別のものということだ。「あなたの会社の仕事は何ですか」とレブロンの社長チャールズ・レブソンに尋ねると、いまではもう有名になってしまった次のような答えが返ってきた。「工場では化粧品をつくります。店舗では希望を売ります」

レブソンは、「顧客が何を求めているのか」によって製品を定義したのであって、「何をつくっているか」で定義したのではない。マクドナルドも明らかにこれと同じだ。ハンバーガーだけではなく、スピード、清潔さ、信用、楽しい雰囲気、品質の一定さをも売っているのである。ハネウェルは、スペア部品としてその製品を定義したのでなく、代理店の要望、しかもそれを満たすことができれば同社の人気が高まるような要望として、その製品を定義した。つまり、人々の購入するものが、製品ではなくて、人々が利用するツール-自分達の問題を解決し、意図したコトを果たしてくれるツールこそが製品なのである。

事態を誤らせているのは、会社が売っているものを正しく定義できないからだ。いわゆるサービス業と呼ばれる会社は一般的に、自社では製品を製造しているのではなく、サービスを提供しているのだと考える。そのため、メーカーのように顧客を満足させる製品を効率よく低コストで生産することに関心がなく、広い視野から考えたり、行動したりすることができない。

さらに、メーカーのほうも普通、その顧客サービスを、自社製品に欠かせない一部分だとは考えない。顧客サービスは、マーケティング部門が後から考えるべきものだとしている。

そうなると、マーケティング部門は、自分たちの任務は顧客サービスを提供することだと考えてしまう。表面には出ないものの、仕方なくタダで何かを与えてやる、という考えがその背後にある。人は好意から余分なことをする。これが企業のなかに暗黙に伝わると、その結果は予想どおりになる-気楽に気の向いたときにやればよいという態度、細やかなことに配慮しなくともよいという気持ちが生まれる。ひいては、人間とその努力を、システムや事前のプランニングで置き換えられる可能性にさせ、関心を持とうとしない。

このことから、容易に取り付けも修理も変更もできないような製品が設計されるようになる(モトローラの「ボックスの取り替えだけで修理のできる」テレビ・セットは、部品の取り替えと修理のしやすさという訴求で大成功を収めた。設計と製造に正しい配慮さえすれば、いかに売上げが伸びるかという顕著な例である)。

セオドア・レビット『サービス・マニュファクチャリング』
(1972年ハーバード・ビジネス・レビューより)

―― 引用ここまで ―――――――――

さて、この論文を読んで、どう感じるでしょうか?
私は、素直に反省しました・・・。

\ 最新情報をチェック /