受け手のニーズを考えよ
週末のレビットアカデミー『広告の倫理性をめぐる考察』です。 前回『目的の違いで正当化されるのか』からの続きです。 今回も、含蓄ある、凄く大切なことをさらっと言っています。 広告のハナシを、芸術に関連付けて論じていますが、 […]
目的の違いで正当化されるのか
ベネッセの顧客流出事件で、勝手にDMが送られてきたと怒っている方たちがいます。 これが送られてきたのが、宝くじだったり、図書券だったり、現金だったりしたらどうなのでしょうか? どこで調べたか分かりませんが、勝手に送られて […]
「聖なる」こじつけと「世俗的な」こじつけ
週末のレビットアカデミー『広告の倫理性をめぐる考察』です。 前回『立派な聖堂を建てる理由』からの続きです。 “ものはいいよう”ではありますが、 芸術は許されて、広告は許されない、 もし、それがまかり通るとしたら、 どんな […]
立派な聖堂を建てる理由
“ものはいいよう”とはいいますが、どこまで許されるのでしょうか? そして、舌鋒鋭いレビット博士の指摘は、どこからが舌禍事件となるのでしょうか? ―― 引用ここから ――――――――― 立派な聖堂を建てる理由 エリオットに […]
ありのままの状態では耐えられない
週末のレビットアカデミー『広告の倫理性をめぐる考察』です。 前回『事実の歪曲と創造的な装飾との違い』からの続きです。 実はわたしは、劇作家出の小説家志望だったので、 今回レビット博士が言っていることはよくわかります。 広 […]
事実の歪曲と創造的な装飾との違い
「工場では化粧品をつくります。店舗では希望を売ります」とか、 今回は、約束の有形化にも通じる、いいことが書いてあります。 (レビット博士を相手に、おまえは何様なんだと怒られそうですが・・)。 では、どうぞ。 ―― 引用こ […]
我々は広告に何を期待するのか
週末のレビットアカデミー『広告の倫理性をめぐる考察』です。 前回の『「広告には規制が必要』からの続きです。 ―― 引用ここから ――――――――― 我々は広告に何を期待するのか たいていの人は慎重にお金を使う。当然ながら […]
広告には規制が必要である
それでは、はじめましょう。 『広告の倫理性をめぐる考察』です。 インターネット(インターネット広告)も考慮すると、 消費者が見聞きする広告の状況は、 1970年のアメリカも、現代日本も、 まったく変わらない、ということで […]
広告の倫理性をめぐる考察
週末は、レビット博士のマーケティングアカデミーということで。 今回は、『広告の倫理性をめぐる考察』という1970年の論文からです。 44年経ったいまでも、誇大広告は後を絶たちません。 とはいえ、当時も今も、まったくなんの […]
ジーユーの試着したまま外出可能な新サービスは差別化に繋がるか
ケーススタディとしては、わかりやすいかと思いますので、 今日は、ジ―ユー(GU)を取り上げてみたいと思います。 念のため、ジ―ユーを説明しておきますと、ユニクロを運営する ファーストリテイリングの100%子会社です。 低 […]